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それでも、ここで生きていく [思うこと]

県外の人たちから見れば、
これだけの騒ぎになっているのに、
いわきに居続けるというのは、正気の沙汰ではないのかもしれません。

今、暮らしている場所は、福島第一原発から45キロ。
科学者の話を信用するとして、
再臨界で放射能漏れを起こした場合、
その影響を受けるのは30キロだと言います。
(もちろん、風向きとかの影響もあるので、その限りではありませんが)
この距離だと、おそらく、今はやりの「ただちに」死に至ることはないと思います。

では、長期的に見たとき、健康被害を受ける可能性は?
あるのかもしれません。
まして、大気汚染以上に恐ろしい土壌汚染というものがあります。
この地で作られた農作物は、もう口にすることはできないかもしれません。

私は、もうすでに人生の折り返し点を過ぎたと思うような年齢です。
これから子どもを作ることもありません。
今の仕事は、この地を離れては成り立たないものです。
若くもなく、新しく仕事を見つける上では致命的な病気も持っています。
福島県から出て暮らしたこともないし、
県外に身寄りがいるわけでもありません。
長生きして、見届けたいものがあるわけでもありません。

ということで、自分からここを出て行く理由がないのです。
自分にとって、ここは危険な場所ではないのです。

でも、子どもたちにとっては、そうではありません。
放射能に対する感受性が、大人の10倍だそうです。
だから、子どものいる人は、ここを離れて当然です。

このまま、原発の問題が前に進まなければ、
ここは、子どものいない町になるかもしれません。
そうなったときのことを想像すると、とても悲しくなります。
未来のない町です。

ラジオ福島で、久しぶりに「福島県民の歌」を聴きました。
どこの都道府県もそうなのではないかと思いますが、
その地の発展を願うような、未来に向かう歌詞です。

 ♪ みどり光る この空 いつまでも ああ 福島県

智恵子抄にも詠われた「ほんとうの空」がある福島です。
でも、今は他の土地からは、汚れた空に見えているのでしょうか。

そして、2番の歌詞にありました。

 ♪ 嵐をこえて 雪崩に耐えて 豊かなふるさと ふくしまをつくろう

嵐も、雪崩も、地震にも耐えられるけれど、放射能には耐える術がありません。
豊かなふるさとは、もう失われてしまったように思います。

それでも、ここで生きていきます。
見届けたいものがひとつだけあるから。
このふるさとの、これから先を。

「月曜日に、また無事に会えますように」
金曜日に退勤するとき、同僚と交わしたあいさつです。
かなり非日常的な会話ですね。
このままなら、無事に会えそうです。


タグ:原発 いわき
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